鈴木理策の写真には、生まれ故郷である熊野の御灯祭を撮った第一作品集「KUMANO」(東京・皇居から熊野に至る)から、青森・恐山から熊野に旅する「Piles of Times」、ポール・セザンヌが描いた山に向かった「Mont Sainte Victoire」や「SAKURA」(吉野で撮影)に至るまで、つねに樹木が自然と写し込まれる。それは聖地で撮られるというより、何年もかけ繰り返し、絶えず聖地に向かう魂の軌道があるからだ。そこは日常とハレ、生と死、有と無が変換する場所でもある。
ピーター・ビアードはカレン・ブリクセンの著書『Out of Africa」を読み、1955年、17歳の時に、アフリカに誘われる。そこで野生そのものの生活の写真を(アフリカに行く前に写真を好きになっていた)数多く撮り、時に動物の血や自分の血、何処かでみつけてきたオブジェ、動物のドローイングと写真を用いコラージュのように日記をしたてあげていった(日記は子供の時からの習慣だった)。下の写真に見られるように動物と人間と樹木はそれぞれが近いところにあった。
1960年代後半からコンセプチャル・ブックを毎年のごとく陸続とセルフ・プブリッシュしはじめ、蛇腹フォーマットが印象的で実験性あふれる作品集「サンセット・ブルーバード」は写真集史のなかでも異彩を放っている。ここにピックアップしたのは「A Few Palm Trees」(1971)で、各ページに一点のパームツリーが単に写っているだけのもの。地面も背景もまったくそぎ落とされ、その形態だけがミニマルなホワイトバックを背景に、アーティスティックなポートレイト写真のように撮られ、同じサイズにプリントされおさめられている。
ナン・ゴールディンの写真は、彼女や彼女の友人たち、仲間たちののっぴきならない人生を撮ってきたものなので、そして人への深い愛情と哀惜への深さがイメージを覆いつくしていたので、樹木がどこかに写っていたような記憶がなかった。写真集「I 'll be your Mirror」をひらけたら樹木が散見されるのだ。おそらく大切な人を失った時の自身の心の反映として写されたようだ。そのためナンの樹木は樹木そのものを撮ったものではなく心理を反映し、とめどなく悲しくさめざめとしている。