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フランシス・ベーコンの「マインド・ツリー(心の樹)

dfdf 軍人あがりの父は内気で繊細な息子を好かず、ジコチューの母は自分の社交に忙しい人だった

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フランシス・ベーコン (ニューベーシック)
フランシス・ベーコン (ニューベーシック)ルイジ・フィカッチ

タッシェン 2007-04-15
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ピカソ・ジャコメッティ・ベイコン
ピカソ・ジャコメッティ・ベイコンミシェル レリス Michel Leiris

人文書院 1999-02
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アルベルト・ジャコメッティのアトリエ
アルベルト・ジャコメッティのアトリエジャン ジュネ Jean Genet

現代企画室 1999-11
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ジェイムス・ジョイスの「Mind Tree」へ

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失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)マルセル プルースト 鈴木 道彦

集英社 2006-03-17
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フランシス・ベイコン
フランシス・ベイコンマイケル・ペピアット 夏目 幸子

新潮社 2004-09-29
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ニュー・アトランティス (岩波文庫)
ニュー・アトランティス (岩波文庫)ベーコン 川西 進

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ノヴム・オルガヌム(新機関) (1978年) (岩波文庫)
 フランシス・ベーコン 桂 寿一

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感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論
感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論ジル ドゥルーズ Gilles Deleuze

法政大学出版局 2004-09
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フランシス・ベイコン 磔刑―暴力的な現実にたいする新しい見方 (作品とコンテクスト)
フランシス・ベイコン 磔刑―暴力的な現実にたいする新しい見方 (作品とコンテクスト)イェルク ツィンマーマン J¨org Zimmermann

三元社 2006-03
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フランシス・ベーコンはアイルランドのダブリンで
生まれていますが、ベーコン家はイギリスにありま
した。フランシスは生涯で何度もアイルランドイギ
リスを往来しています。
アイルランドのダブリンの今日の動画です。

 

 

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ダブリンの人びと (ちくま文庫)
ダブリンの人びと (ちくま文庫)ジェイムズ ジョイス James Joyce

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肉への慈悲―フランシス・ベイコン・インタヴュー
肉への慈悲―フランシス・ベイコン・インタヴューデイヴィッド シルヴェスター フランシス ベイコン David Sylvester

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愛の悪魔~フランシス・ベイコンの歪んだ肖像~ [DVD]
愛の悪魔~フランシス・ベイコンの歪んだ肖像~ [DVD]ジョン・メイブリー

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ブライアン・ジョーンズの「Mind Tree」へ

 

 

はじめに:自身に「謎(エニグマ)」をかけた20世紀美術最大の”巨匠”

 自身が望んだように20世紀現代美術のなかでも最も「謎(エニグマ)に包まれたア
 ーティストとなったフランシス・ベーコン
(ベイコンの表記もあり)。その物議を醸し
 てきた作品群にはベーコン自身がかけたヴェールがあったのです。1920年代に、最
 先端をゆくインテリア・デザイナーだったことはベーコン自身により徹底的に隠蔽さ
 れていました。遅咲きだったアーティストは、その間に、1960年代より欧米では20世
 紀美術最大の”巨匠”の一人に数えられことになる芸術家としての「舞台装置」を準備
 していたのでした。「法王」の叫ぶ姿や、得たいの知れない部屋のベッドの上おデフ
 ォルメされた2つの肉体や、おどろおどろしい生物形態
(バイオモーフィック)からな
 る磔刑図の背景に描かれたのは、自身が若い頃に手がけていた「金属」や「鏡」「ガ
 ラス」で構築したモダンインテリアや室内装飾だったのです。

 しかしフランシス・ベーコンの「謎(エニグマ)」はそれにつきるわけではありませ
 ん。内気だったベーコンは祖母から薫陶を受けた社交術と盛大な浪費、強烈な目的意
 識、ハイソサエティからゲイソサエティ、アンダーグラウンドの夜の社交場を自由に
 往来し人生を謳歌し、ロンドンの夜に欠かせない存在になっていくのです。ベーコン
 はあらゆるタイプのひとたちと交際ができたのです。ベーコンの「マインド・ツリ
 ー(心の樹)」の細胞には、さまざまなものが溶け込んでいたのです。
 とりわけ文学は脳の中で、さまざまなイメージを撹拌させることができるために重要
 な位置を占めていました。アイスキュロス、シェークスピア、ジェイムス・ジョイ
 ス、W.B.イエーツT.S.エリオット、ウィリアム・バロウズたちです。なかでもマ
 ルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を最後の悲劇的作品として位置づけ
 ていました。絵画では、ミケランジェロ、ベラスケス、ゴッホ、ドガ、ピカソ、デュ
 シャンたちでした。彫刻家ジャコメッティには心酔し、自身のアーティストとしての
 姿勢や質素なアトリエに反映させています。
 また1950年代の全盛のピクチャーマガジンからの写真の切り抜きや、エイゼンシュ
 タイン の映画『戦艦ポチョムキン』
(大きな口を開けて叫ぶ女性が映し出された)や初期
 ブニュエル作品など、独学だった美術を補ってあまりあるほどの視覚情報と想像力
 を、自身の「マインド・イメージ」に蓄積していたのです。
 ではこれからフランシス・ベーコンの「謎
(エニグマ)」のヴェールを取り払ってい
 ってみましょう。最初に、激しく揺れていた小さな「心の樹」が見えてきます。

 

 

父方は3代つづく軍人家系。オックスフォード伯とのつながり

フランシス・ベイコン(Francis Bacon フランシス・ベーコンの表記も;以下、青年期までフランシスと表記)は、1909年10月28日、アイルランドのダブリン旧市街の中心部の私立病院で生まれています。父アンソニー・ベーコンは軍人で、歩兵連隊から中尉、大尉と昇進し、南アフリカでボーア戦争の戦闘に参加しています。フランシスが誕生する頃には、イギリスに戻りフランシスの母となるクリスティーナと出会い結婚する少し前に退役し、鉄鋼所から相続されたクリスティーナの持参金で、競走馬の調教に乗り出していました(アイルランドのウェリントンで結婚生活をスタートさせたのは、そこは英国軍の駐屯地で馬の飼育と調教するには好都合の場所だったため。かつて父アンソニーはアイルランドの地で馬と狩猟を覚えていた)
祖父エドワード・ベーコンもまた軍人でした。フランシスの祖母となるオーストラリア人の女性と出会った時、オーストラリア南部のアデライドで騎兵隊大尉を務めていました。父アンソニーが生まれると祖父はオックスフォード伯の所有していたヘレフォードシャー・アイウッドにある邸宅に移り住んでいます。その地に地主として居を構え、5人の子供に恵まれ、7人の召使いを抱えていたほどでした。オックスフォード伯とのつながりはフランシスの曾祖父にありました。曾祖父も軍人で、ウォータールーの戦いでウェリントン将軍の下、最小年士官として名をなし将軍にまでのぼりつめた人物でした。この曾祖父がオックスフォード伯の娘シャーロットと結婚しています(ヴィクトリア女王はオックスフォード卿の称号を復興し父に与えようとしたが、一家の財政状況では貴族になるには無理があるとして断念している)
ちなみにシャーロットの母の恋人のなかにはあのバイロン卿もいたほどで、バイロン卿はまだ幼かった美少女シャーロットに捧げるために、名作『チャイルド・ハロルドの巡礼』を著しています。

 

 16世紀の哲学者「フランシス・ベーコン」の異母兄の子孫ー傍系
 家族だった

 ベーコンの家系で最も有名な人物は、エリザベス朝の著名な哲学者であり政治家で、
 フランシスと同性同名の「フランシス・ベーコン(1561-1626」です(「知は力な
 り」と、現実の観察と実験を重んじる近代合理主義(帰納法)を唱えた人物。主著『ノヴム・オ
 ルガヌム』をもって聾学校を世界で初めて設立している。ベイコン自身も少年期、病弱だった)

 父は自身は、かのフランシス・ベーコンの異母兄ニコラス・ベーコンの子孫であるこ
 とを確信し、誇りにしていました。フランシス自身は、家系への関心はそれほどあり
 ませんでしたが、血のつながりがあるという「フランシス・ベーコン」が、浪費家で
 あり同性愛者であったことを知るにおよび血は争えないと笑いとばしていました(完
 全な証拠もなかったためどこかでこの血縁関係を疑ってもいた)
。この「フランシス・ベー
 コン」が、フランシスが崇拝していたシェイクスピアの正体だったという仮説はフ
 ランシスを刺激したにちがいありません(フランシスはシェイクスピアをよく読んで引用
 していました)

 そうした遺伝子以上に、フランシスに影響を与えたのは母方の方でした。フランシス
 の母クリスティーナの曾祖父は小さな製鋼会社を世界屈指の銃器製造会社にした人物
 で、息子たちはその富の一部で公園や救貧院や教育機関を設立していました。フラン
 シスの喘息は母方の祖父譲りのもので隔世遺伝でした。そして祖母こそが痩せ細って
 いたフランシスの「マインド・ツリー(心の樹)」にたっぷりと栄養を与えたのです。
 青年期にパリに行った時、気後れしてお店にも入れない内気なフランシスが、潜在的
 な社交術を備えていたのは祖母の影響からだったのです。祖母はエネルギッシュで情
 熱に溢れ、自由奔放にして社交に長け華やかなパーティーを催すのが大好きな女性で
 した。くわえて芸術的才能もあり、図案を参照することもなければ下書きもなしに編
 みレースで大きなデザインを苦もなく生み出す能力と感覚を兼ね備えていたのです。
 フランシスは祖母の家に何度も泊まりに行ったり舞踏会について行ったりしていまし
 た。フランシスにとって祖母は親族の中で唯一愛情を感じられる人でした(彼女は軍
 人気質のフランシスの父を毛嫌いしていた)
。フランシスの母も祖母に似て社交的でした
 が、子供たちのことはほったらかしにして自分が楽しめる娯楽にばかり忙しい女性
 でした。フランシスは子供ながらにそうした母の姿に不満を感じていたといいます。

 

 軍人あがりの父は内気で夢見がちなフランシスを好かなかった。
 疎開先で大叔父の絵と蒐集した絵画を見る

 頑強で軍人あがりの父は息子がひ弱で内気すぎることに業を煮やすばかりでした。フ
 ランシスの気質は3世代にわたる軍人家系の父方ではなく母方から継いだものだった
 のです。繊細な夢見がちなフランシスにとってベイコン家の厳しい日課と、競馬と狩
 猟の世界は苦痛で仕方がありませんでした。父は喘息持ちのフランシスを屈強にしよ
 うと子馬に無理矢理またがらせたり狩りにくわえたりしたのですが、フランシスは馬
 に長時間接触していると必ず酷い喘息の発作がおこって真っ青になり何日も寝込んで
 しまうような体質だったのです。その度にモルヒネで抑えられていたといいます。

 そんな息子に父はひ弱な烙印を押し、弟の方に目をかけるようになっていきます。末
 の弟が軍人となって一家の伝統を継いでくれることを願ったのです。父とフランシス
 の間には母との間と同様、愛情が通い合うことはなく、父と会うのはお茶の時間の後
 の30分と、たまに日曜日の昼食だけになります。

 フランシスの一番古い記憶は、5歳の頃、変装したり隠れたりすることに快感を覚え
 たことでした。兄のサイクリング用のマントを着て興奮して通りを往来したことをよ
 く覚えているといいます。第一次世界大戦が勃発する前だったので、馬に乗った騎
 兵隊や軍隊ラッパ、戦闘演習は、病弱だったフランシスの想像力を刺激してはいまし
 た。父が軍務の仕事で一家はロンドンに転居し、馬の臭いのない大都市での暮らしを
 身体が記憶しはじめていったのです。ロンドン空襲が打ち続くなか、ベコン家は大
 叔母が暮らす尖塔のある新ゴシック様式の大きな屋敷に疎開しました。大叔父のチ
 ャールズ・ミッチェルは世紀末パリで絵画を学び、ロイヤル・アカデミー(王立芸術
 院- www.royalacademy.org.uk
やグロウブナー画廊で展覧会を催すほどの画家で
 した。
 屋敷には特別に絵画を陳列するための部屋があり、自身が蒐集した絵画も飾ってあり
 ました。フランシスは9歳になる前の頃に、そこで肖像画や裸婦像、風景画を目撃
 し、おそらく強く「マインド・イメージ」に焼き込まれていったようです。

 第一次世界大戦が終わっても(フランシス9歳の時)、ベーコン家が感じていた恐怖
 感が収まることはありませんでした。ベーコン家はアイルランドに戻っていまし
 た。1919年にアイルランド共和国軍(IRA)が結成されると、家族全員がイギリ
 ス人でプロテスタントのベーコン家はいつ狙撃兵に狙われるのか、爆弾が爆発する
 のではないかという脅威と不安でいっぱいだったのです(召使い全員と9人の馬丁の
 ほとんどがアイルランド生まれのカトリック教徒だった)
。大好きな祖母の夫は警察署長
 でIRAのターゲットになっていました。こうした恐怖感がフランシスの「マインド
 ・イメージ」への焼き付けを強くしたものがありました。それは家の奥まった所
 にある優雅な曲線がある部屋で、後の作品に人物の背景として描き込まれるので
 した。

 

 

 思春期、同性愛への目覚め。10代前半に家に雇われていた馬丁たちと
 性交渉をもつ

 思春期が近づくにつれフランシスは、自身と同じ名前を持ち、血のつながりのある大
 哲学者「フランシス・ベーコン」と同様、同性愛を覚えはじめました。10代前半、
 フランシスは父が馬の調教で雇い入れていた馬丁たちと性交渉をもちます。また父は
 馬丁にフランシスに鞭を打つよう命令しさせたことがあったようで、痛みとスリル、
 残酷さと屈辱の混じり合った高揚感に包まれた瞬間は、後にサイ皮の鞭をコレクシ
 ョンするほどになるフランシスの強烈なサドマゾ趣味に発展していきます。「俺の人
 生全体が絵の中に取り込まれているのさ」とフランシスが後に密かに語ったように、
 サドマゾの光景も当然のことながらフランシスの絵画に映しだされていきます。

 この頃(フランシス10代の頃)から、両親はアイルランドとイギリスのどちらかに居
 を定めることができず、両地を行ったり来たりし、そのたびにフランシスは新たな
 学校に送り込まれ、学校生活に馴染めなくなっていきます。フランシスの初期の学
 校教育はいつも途切れがちでした。母の無関心と父の目が行き届かないこと幸いに、
 家や敷地をぶらつき幼少から耽っていた空想にみがきをかけたり、そうかとおもえ
 ば馬丁の尻を追いかけたりしていました。フランシスに予期しないことがおこりま
 す。フランシスは、権威的な父に対してハンサムだとおもう所もあり、それらが絡
 み合って性的に惹かれていくのです。病弱だったために「男らしさ」に惹かれた部
 分もあったのでしょう。

 

 

 ビーズのアクセサリーやイヤリング、ドレスなど女性の衣装への関心

 15歳の時、フランシスははっきりと自身の性的傾向を意識するようになっていまし
 た。単に同性愛者だというのでなく、「女装」しはじめたのです。すでにそれ以前
 に、親戚の者たちはフランシスがどうも「女の子」みたいだと言いはじめていまし
 た。最初の頃は、その「女装」は、内輪だけの仮装パーティーだったので皆も不思議
 がりませんでしたが、16歳になってもフランシスはきまってイートン風のヘアスタ
 イルをしたお転婆娘の姿に「変身」するのでした。
 ビーズのアクセサリーをつけイヤリングを鳴らし、背中の空いたドレスを着て流し目
 をするのです。そして決定的なことがおこります。ある日、父はフランシスが母親の
 下着を試している姿を目撃してしまったのです(後に、フランシスは網タイツを穿いて
 コトに及びはじめます)
。「大尉」の勲章を着飾っているかのような父の怒りは爆発し
 ます。

 学校からは退学させられ今度は家からも追い出されてしまうのです。とくに父に嫌悪
 され拒絶されたことは繊細な少年フランシスを大きく傷つけました。フランシスが15
 歳の時にベーコン家が移り住んでいたチェルトナムは、あのローリング・ストーンズ
 の創立者ブライアン・ジョーンズが生まれ育った品位を重んじる土地柄でした。ブラ
 イアン・ジョーンズが16歳の時、家から勘当されドイツ、北欧へと放浪したように、
 同じくフランシス16歳の時、ベーコン家から勘当をくらったのでした。フランシス
 は 、知人や親戚を通じてつながりのあったロンドンに向ったのです。そこにはもう
 軍隊式生活はありませんでした。▶(2)に続く