ルー・リードの「マインド・ツリー(心の樹)

 セクシャリティに悩んだ10代        dftop (2)(3)(4-未)





 

 

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ドストエフスキーの「Mind Tree」へ

 

 

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 はじめに:

 ニューヨークの”ワイルド・サイドを歩いてきた”人物の筆頭につねに数えられる
 ルー・リード。ジャンキー、セクシャリティ、ペルソナ、詩人、アナーキー、
 アーチストロックン・ローラー、パフォーマー、トランスフォーマーという形容
 が30余年にわたってルー・リードを飾ってきた。ルー・リードがヴォーカルとギ
 ターをとったヴェルヴェット・アンダーグラウンド(プラス・ニコ)は、後にアン
 ディ・ウォーホルの目にとまり、容喙(ようかい)し取り引きしたため、ファク
 トリーのアヴァンギャルドなアートシーンの匂いをたっぷり吸い込むことになり
 ましたが、この「マインド・ツリー(心の樹)」は、おもにルー・リードがヴェ
 ルヴェット・アンダーグラウンドをジョン・ケイルらと結成するまでの彼の魂の彷
 徨と冒険を追います。
 「僕がやりたいのは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と同じレベル
 にあるロックン・ロールなんだ」と、語るルー・リードの”根っ子”をまずはみて
 みましょう。そこには少年時代から青年期にいたる間に、彼の中に閉じられてい
 たものがどのように”芽”を出していったか、そしてロックン・ローラー「ルー・
 リード」へつづく道など、ニューヨークの迷路のようなサブウェイのように、
 どこにどうつながっていくのか、何にぶちあたるのか、神のみぞ知るの状況で
 あったことがわかってきます。

 

 

 早くからスポーツ少年だった

 ルー・リード(本名:ルイス・アラン・リード)は、1942年3月2日に、ニューヨ
 ークのブルックリンに生まれました。ユダヤ人の父シドニー・ジョージ・リード
 は会計士、母トビー・ファッターマンは元ビューティー・クイーンでした(そう
 噂されています)
。ルー(以降、青年期までルーと記す)は長男で、数年後に妹エリ
 ザベスが、その10年後には次男が誕生しています。ルーはが小学校にあがった
 頃(1940年代末)、リード一家はブルックリンの南方に位置するロングアイラン
 ドのフリーポートに移り住みます。フリーポートは大西洋に面した中産階級の家
 庭が暮らすエリアで、海岸に沿って何マイルもつづくビーチがありました。その
 先にあるのは当時悪名高いリゾート地コニーアイランド。家庭は当時の典型で、
 威張る父と、それに付き従う母という構図だったようです。ルーの幼年期は、
 その家庭の構図の中で育まれていきました。

 ルーは早くからスポーツ少年となり、なかでもバスケットボールに夢中になって
 いきます(バスケには生涯変わらない愛情を注ぐ)。その一方、音楽も大好きになって
 沢山聴きますが、8歳頃からはじめたクラシック・ピアノが、ルーの音楽好きに
 マイナスにはたらいてしまいます。レッスンがどうしても押しつけのように感じ
 られて、どんどん音楽に対する気持ちが分裂していってしまったのです。ただ、
 心の中ではこの窮屈なレッスンさえ乗り切れば無限の音楽の世界に出会えるとい
 うことも感じていました。

 

 12歳、セクシャリティに困惑しはじめる

 ハイスクール時代もスポーツ好きは変わらず、ラグビーをやりだし、ライト・エ
 ンドをこなしました。そしてこの思春期に、ルーは自身のセクシャリティに困惑
 しはじめています。ルーの「マインド・ツリー(心の樹)」が、翳(かげ)りを
 みせはじめます。しかも思春期の青年が抱く、異性への感覚と欲望ではなく、同
 性へのそれだったのです。ラグビーでつねに同性に接触するルーにとって、かな
 りこたえたに違いありません。ただ、同性に惹かれる自分のセクシャリティ
 (性向)
に感づいたのは12歳の時で、それを感じることが邪魔っ気で、嫌でたま
 らなかったといいます。それ以降、自己嫌悪に陥るので、感覚に蓋(ふた)をす
 るように意識して感じないようにしていました。

 しかしもともとスポーツ好きだったルーがハイスクールで選んだのが、最も身体
 の接触の多い、ラグビーだったのです。幾らその感覚を払いのけようと、影のよ
 うにつきまとってきたにちがいありません。しかもその感覚は、「影」などでは
 なく、ルー自身の性感覚の「実体」だったのです。ラグビー部のような体育会系
 の学生にとってホモセクシャルであることはおそらく許されないことで、1950年
 代の後半、ホモセクシャルはまだ「女々しいオカマ」というイメージしかありま
 せんでした。後の<役割モデル>など存在せず、オカマをほられようが同情を寄
 せる者などほとんどいなかった時期です。

  

 ルー、ギターを買う。ヴォーカルは当時のサウンドに合わず

 ティーンエイジャーだったルーは、スポーツをしていない時は、魅了されていた
 音楽に時間をさくようになっていきます。1950年代半ばから後半にかけ、ニュー
 ヨークには世界で最も多いラジオ局から、怒濤のごとく新しい音楽が流れはじめ
 ていました。チャック・ベリーやジェリー・リー・ルイスボ・ディドリー、テネ
 シーやテキサスからはカール・パーキンスやビリー・リー・ライリーらのロカビ
 リーサウンドが、ルーの心をとらえ出しました。ディアブロスやジェスターズら
 のドゥー・ワップもいかすとおもっていたら、今度はコルトレーンやマイルス・
 デイビスのビ・バップ・ジャズ、セロニアス・モンクやオーネット・コールマ
 ン、ドン・チェリーらのフリー・フォームのジャズも流れだし、ルーは音楽の
 海に航海しはじめます。

 音楽の海を漕ぐための最初のオールは、グレッチのカントリー・ジェントルマン
 というギターでした。ルーの最初のギターです。ルーはこのギターを手にすると
 誰かにお金をちょっとばかし払い、最初の3つのコードを覚えたといいます。
 当時、ラジオで流される曲のほとんどはスリー・コードで弾けたので、多少のお
 金を払ってでもコードを知りたかったのでしょう。その後は独学でマスターして
 いき、ルーは「ザ・シェイズ」というバンドをつくります。ステージでは後のル
 ー・リードを予感させるように、全員が黒いサングラスをかけワルっぽい雰囲気
 を醸し出しだしていました。鼻声のバリトンでは当時のサウンドに合わず、ルー
 はギタリストとしてパフォーマンスし、ギターで曲をつくりだしていました。

 ルー、バンドを結成。曲のリリースと脱退

 当時ニューヨークでは音楽で一儲けしようとめざとい連中たちがイディペンデン
 トなレコード会社をつくり、無数のティーンエイジャー・バンドが音楽で脚光を
 あびようとそうしたレコード会社に出入りしていました。レコード会社がバンド
 の可能性を感じれば、シングルが1000枚プレスされ、一瞬だけスターになった気
 分を味わせ、ヒットしないとなればあっという間に別のバンドに鞍替えするとい
 った状況でした。ルーのバンド「ザ・シェイズ」も同じ運命をたどりました。
 ルーが手がけた「So Blue」という曲がメジャーのレーベルの目にとまり、リリー
 スされたのですがまったくヒットしず、レコード会社はすぐにそっぽを向いてし
 まい、バンドも活力を無くし、ルーもバンドを脱退します。

 この頃、ルーの両親は、ルーのあまりの音楽熱にまったく両親らしく混乱した反
 応を示していたといいます。ロックン・ロールはまだこの時期、ひと世代上の者
 には禍(わざわ)いと嫌悪の感情を引き起こすばかりでした。ルーがバンドを脱
 退したことを知り一息ついた両親は、ほどなく別の混乱に襲われます。


 17歳、ホモセクシャルの性癖を抑える「電気ショック療法」を受ける

 17歳の時、ルーは性的な障害者だとされたのです。医療が比較的すすんでいたロ
 ングアイランドでは、専門家は性的な障害者だとわかるといち早く障害を矯正し
 ようとしていました。何もわからないルーは精神科医に通い、ホモセクシャルの
 性癖を抑える治療を受けだします。その治療とは、「電気ショック療法」でし
 た。ルーはなんと週に3回も電気ショックによる治療を受けることになります。
 何もわからないままルーは頭に電極をつけられ、電流を全身に流すと性的な障
 害は治ると盲信されていたのです。
 この治療は、記憶がとび、植物人間状態になる可能性もあったようです。状況が
 ちがうもののまさに映画「時計仕掛けのオレンジ」を彷彿とさせます。そんなマ
 ッド・サイエンティストたちに手をくだされようとも、当時はホモセクシャルは
 「治療」されなくてはならないものと一方的に押しつけられたのです。

 

  家族との精神的断絶

 この思わぬ「治療」通いは(そしておそらくは息子が性的障害者であると思い込み)
 音楽で混乱に陥っていた家族を、さらに深い混乱に陥いれてしまったようです。
 ルーは両親に、両親もルーに、お互い関係をうまくとれなくなり溝が深まってい
 きます。とくに父との精神的断絶は、青年期のルーに大きな影響を与えたようで
 す。ルー・リードが後に自分の育ちに対して辛辣な言葉を吐きつづけたのも、
 またつぎつぎに家父長的な人物のリーダーシップに指導を求めるようになった
 のもこのトラウマが原因だったようです。

 ルーはこの電気ショック療法の体験を、後に「キル・ユア・サンズ」という曲に
 描いています。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの結成当時からあった曲で
 したが、公の場では一度も演奏されなかったようです。後にアルバム『死の舞
 踏』でようやく取りあげられます。▶(2)click here

 ・参照書籍:『ルー・リード—ワイルドサイドを歩け』ピーター・ドケット著 大栄出版 1992刊