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ランボーと詩人ヴェルレーヌの激しい関係を描いた
映画『太陽と月に背いて』(レオナルド・デカプリ
オ主演)より
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ポール・ヴェルレーヌ・イメージ
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16歳、「詩人」である、と自覚する▶ランボーは親友ドラエーと山を越え、森を突っきってベルギーとの国境を越えてみたりします。シャルルヴィルからの脱出と自立、そして異境への予行演習のように。ランボーはこの頃(16歳)、自身は「詩人」である、と自覚しています(詩人たるべく意識したのは14歳の時)。誰かにそれを認めてもらいたい。ランボーは詩篇を清書して大御所のバンヴィルらあちこちに送りつけています。 ランボーが詩人ポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine)に詩を読んでもらおうと手紙を出したのはこの時期でした。ヴェルレーヌの住所は、イザンバール先生の知り合いでヴァイオリン奏者で製糖工場に勤めていたオーギュスト・ブルターニュから聞き出しています(ブルターニュはヴェルレーヌから使用していたインク壷をもらうような間柄だった)。
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内気で無口で、なかなか心情を吐露しない性格だったランボー待ち合わせ場所のストラスブール駅で、ランボーはヴェルレーヌに会うことはできませんでした。あまりにも速く成長した童顔の中学生のような顔と、ぼさぼさ髪に、身なりをまったく構うことないその姿では(背が急に伸び短くなったズボンの下から青い木綿の靴下がのぞいていた)、ヴェルレーヌがみつけられなかったのも当然かもしれません。もっともこのランボーは小1時間近く歩き、道を尋ねてニコレ通りのヴェルレーヌの家に到着します。ランボーを迎え入れたのは、ヴェルレーヌの臨月真近の妻マチルド(当時17歳。1年前に結婚)とその母でした。 ヴェルレーヌが住んでいたのは3階建ての義父母の館で、マチルドが妊娠していたので仮住まいしていたのです。この頃のヴェルレーヌはパトロンの庇護の下、悠々自適の生活をしていたように一般的に書かれていますが、実際にはパリ市の支払い命令課・文書係の思いっきり地味な職を、パリ・コミューンの際、国民軍に志願したために解雇されたばかりだったのです(母の送金で暮らしていた)。そんな状況下(しかも娘マチルドは妊娠)、粗野で身なりも冴えない青年(詩はボードレールを継承するものがありながらも、この反ダンディズムさ)を仮住まいの家に泊めようというのですから間が悪いばかりでした。ただしばらくすると反乱者に関する記事をチェックし、必要に応じ反論を紙上に書く「新聞局長」(名ばかりの閑職)に任じられています。 ヴェルレーヌと同席していた友人で詩人にして独創的な科学者シャルル・クロ(後にカラー写真や蓄音機の原理も発見する)の回想では、ランボーは基本的に内気で無口で、なかなか心情を吐露しないタイプの青年だったようで、時折、突然に不可解な言動をすることがあったといいます。招かれた最初の日のディナーの時、訊ねられた質問をさえぎるように、飼い犬を見て「犬というものは自由主義者だ!」と突然言い放ったごとく。さらには招かれた身でありながら、用意された部屋の壁に掛けられた先祖の肖像画の目つきが気になるので取り外して欲しいと要求すらしています。また臨月で身重のマチルドに対しても、家庭生活を呪詛するように、ランボーはぞんざいに振る舞っています。
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「醜いが気のよい男たち」の夕食会の席で「酔いどれ船」を朗読ヴェルレーヌにとって、そんなことよりもランボーの詩人としての型破りな才能です。サンジェルマン=デ =プレで継続的に催されていた「醜いが気のよい男たち」の夕食会の席で、ひととおり皆の朗読が終わると、ランボーは「酔いどれ船」を朗読しました(ランボーがパリに来て早々に催されたこの夕食会で、ランボーは朗読中の詩人たちに向かい呪詛の言葉を投げかけ大騒ぎをおこしたと言われているが出席者たちの手紙にはそうした事実が書かれていない。他の機会で起こったのだろう)。 すでにヴェルレーヌから驚くべき若者のことは知らされていた出席者たちは、畏敬の念に包まれたといいます。「博士たちに囲まれたイエス」とか「彼は悪魔だ!」と叫ぶ者もいました。「醜いが気のよい男たち」の夕食会にしばしば出席していたマラルメは、洗濯女のようなランボーのしもやけのできた大きな手のことを記しています。若手の高踏派の詩人たちと異なり、高踏派の巨匠たちは「ほら吹き」とか「空想家」と揶揄したようです。 ランボーを「発見」したヴェルレーヌは、家庭生活で身動きがとれなくなっていた憂さを晴らすかのように、手当たり次第にあちこちのカフェや居酒屋にランボーを連れ回し、アブサンを飲んでは詩について議論しあいます。こうなったら結婚し酒癖を改めようとしていたヴェルレーヌはもういけません。息子が誕生しようがおかまいなく、ヴェルレーヌは出歩き、飲酒癖は彼のもう一つの欲望となっていた同性愛を目覚めさせてしまったのです(高校時代級友でパリ・コミューンでその相手は亡くなっていた)。ランボーの方も、パリ・コミューンの義勇兵から禁じられた愛を強要されていたといわれ、倒錯的で奔放な行動で詩を革新し「自己を改造」しようとしたいました。ヴェルレーヌはランボーに執着するようになり、2人の関係の破廉恥さは衆目のものになっていきます。 義父が狩りの旅から館に戻るとヴェルレーヌは突飛な言動を繰り返すランボーを泊めおくことができなくなります(ランボーはその家の財産の一つ象牙の十字架を盗んでいる)。ランボーはヴェルレーヌの友人たちの家に寝泊まりするか、パリの放浪者のごとくなります。ランボーは援助してくれる人に対してあえて不快感を与え挑発し、罵(ののし)る姿が目撃されています。ヴェルレーヌはランボーのために募金を募ろうと動いたり、大御所バンヴィルもランボーが宿泊できるよう女中部屋を提供したりしています。
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ヴェルレーヌは、ランボーが書きとめた詩や文章を書き写していたヴェルレーヌとランボーは『ジュディストのアルバム』(アルフォンス・ルメール編集)に滑稽なソネットや「尻の穴」を称賛した詩を寄せています(ランボーは詩の中で自身の性の目覚めを語る)。この頃、パリでは政治的騒乱によって人々の日常的暮らしは、うんざりするものになりはてていました。文学上の反逆や悪癖も、過去を一掃し「再生」を企てようとする政治的動きとどこかで連動していたのです。 ヴェルレーヌは、居候したり借家を転々としながらもランボーが書きとめた詩や文章をわざわざ書き写しています。ランボーはこの頃、ボードレールの「灯台」をモデルに、有名な「母音」のソネットを書き、現在行方のわからないランボー最高傑作(ヴェルレーヌによれば)詩「夜警」を書いていました。ランボーはまだの頃、ジャーナリズムに入る夢をもってもいたようで、幾つかの報道文は「フィガロ」紙のために書いていた可能性があるといいます。▶(4)に続く-未 |