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映画の中に「写真」を読む ⚐     


映画『恐るべき子供たち』Les Enfants Terriblles( 1950)    

監督 ジャン=ピエール・メルヴィル

      

  原作・脚本 ジャン・コクトー

   出演 ニコール・ステファーヌ、エドアーッル・デルミ、ルネ・コジマ

  英国アカデミー賞女優賞ノミネート


 本作品はジャン・コクトーの小説『恐るべき子供たち』(1929年)の映画化である。監督はヌーヴェル・ヴァーグの父と称されるジャン=ピエール・メルヴィル。ゴダールやトリュフォーらヌーヴェル・ヴァーグの先鋭にも大きな影響を与えた斬新で挑発的な作品である(註1)。この作品にあらわれている「写真」の効果は、「写真」とともに「映像フィルム」を考える上で、後のゴダールらに刺激を与えただろう。

 コクトーはこの作品を自らの阿片解毒治療の入院中に書きあげている(コクトーは若き作歌レイモン・ラディゲの死にショックを受け阿片に耽溺した)。その時の解毒治療の日記が『阿片』であるが、そこでルイス・ブニュエルやエイゼンシュタイン、チャップリンらの映像の核心をいち早く見抜き書き取っている(註2)。コクトーにとって映画は、「シネマ Cinema」ではなく、「シネマトグラフ Cinematograph」なのだ。映画は娯楽だけに終わるものでなく熟考すべきものが多くあり、またそのための形を与えてくれた(註3)。映画は現代の「詩」ともなりうる。であれば紙と鉛筆は、カメラとフィルムに置き換えられる。

 

 本作品は映画化にあたって時代設定が一九二○年代から、本作品の製作時と同じ第二時世界大戦後に変更されている。それはコクトーが信頼を寄せる人物の死が影響しているとされる。詩集『オペラ』の挿画以降、舞台美術、映画美術においてもコクトーに大きな影響を与えていた’色彩とフォルムの魔術師’クリスチャン・ベラールの死だった。そのベラールが本作品の主人公ポール(エドゥアール・デルミ)とエリザベート(ニコール・ステファーヌ)姉弟のモデルとなった実在の姉弟の興味深い部屋の存在についてコクトーに話し聞かせ、紹介もしていた。その存在をモデルに、コクトーは〈真実よりさらに真実なもの〉として自身の作品の中に、姉弟の「秘密(秘蹟)の部屋」を発明したのだ。つまり姉弟の部屋に〈コクトー美学〉の魔法をかけたのだ。死と境を接する非現実的な領域をつくりあげるために。

 コクトーは「秘密の部屋」の壁一面に数多あまたの「写真」を貼りつけた。それらは新聞や雑誌から切り抜いたボクサーや殺人犯人や映画スターたちの写真だ(少年時代のコクトーも雑誌から写真を切り抜いて劇場遊びに耽っていた)。写真の中のかれらは、単なる’ピンナップ’された欲望の対象ではなく、二人の〈守護聖人〉たちなのだ。ここでコクトーが意図したのは、姉弟の部屋を〈想像上のパルテノン〉にすることだった。ギリシア神話に登場する神々の彫刻に囲まれたあのパルテノンの映像時代のミニチュア版といっていい。パルテノンの彫像は三次元立体だが、「写真」は像が刻印された天使の羽根のような存在なので、”想像の神殿”を自在に設けられる。姉弟のように(それは映像時代に生きる私たちの部屋にも似る)自らの部屋を”想像の神殿”に仕立てあげることも可能だ。冒頭で少年が悪戯いたずらに投げ合う雪の玉のように、時がたてば溶けてしまうような神殿であるが。しかしポールにめがけて投げられた雪の玉に入っていた石のように、姉弟の部屋にはそれとは知られぬ秘密があった(註4)。

 「秘密の部屋」と呼ばれた理由は何か。それは姉弟の二人だけが共有する世界、禁断の世界だった。映画では次のように表現されている。「部屋は甲羅に似ている。同じ身体から出ている両手のように気兼ねなく服を着替えるのだ」と。しかし実の姉弟ゆえ、現世で結ばれることはない。お互い傷つけあいながらも、再び身を寄せあう。姉弟はその部屋で二人の間だけで理解しあう隠語を使っている。その隠語は「行く=イク」という言葉だ。その意味は、「夢想によって恍惚状態になる」ことだ。部屋一面の「写真」は、「行く・・」ためのツール、夢想を導入してくれる阿片のような存在なのだ。「写真」がなくては、二人は「行く・・」ことはできない。

 じつは、その「写真」は小説家ジャン・ジュネが実際に自身が受刑し、フレーヌ刑務所四二六号の独房の壁に貼っていた「写真」と同じ位相にある(スーザン・ソンターグ『写真論』)。独房の二○枚の「写真」は、ジュネが新聞から破り取ったすべて犯罪者の顔写真で、彼等はジュネにとって詩神であり、そこに「怪物の聖なる符牒」を読み取り、彼等に敬意を表し小説『花のノートルダム』を書いたのだった。ただジュネにとってはその「写真」は、姉弟の「写真」と同様に夢想の対象であるとともに、同時に家族のすべてであり友達であり、さらには性愛の護符でありマスタベーションの対象でもあった。興味深いことに、ジュネ最初の小説『花のノートルダム』は、ジュネ自身がコクトーの元に原稿を持込み一読してもらっている。

 ジュネの「写真」(=詩神)と同様、ポールとエリザベートの「秘密の部屋」内の「写真」も慎重に選びこまれている。その「写真」には、街の風景や自然写真(ネイチャーフォト)やオブジェなどの「写真」は一枚もなく、二人が承諾し合ったボクサーや殺人犯人や映画スターの「写真」だけなのだ。

 この映像の一番最後のシーンに2人の「秘密の部屋」が映っています。壁は一面、写真でいっぱいです。

 この小説が書かれた一九二○年代ともなれば、隣国のドイツのレンガー・パッチャやアンドレアス・ファイニンガーら〈モノ〉を即物的、合理的にとらえるドイツ新興写真のムーブメントや、フランスでもケルテスやブラッサイらがストリートスナップに力を注いでいた頃で、新聞や雑誌にもそうした写真が数多く掲載されていたはずだ。だがコクトーはそうした写真はことごとく排除した。その手の写真では姉弟が「行く・・」ことができないからだ。もう一つの理由は肖像写真に映る「死の観念」(幼少の頃の父のピストル自殺、そしてラディゲの突然の死、死想は彼を呪縛し続けた)への執着だろうか。それらの「写真」を撮影した写真家や新聞社の編集者にしてみれば「写真」だけが切り取られ、子供の部屋を覆いつくすほどに貼られ込むことは想定外にちがいない。そうなのだ、「写真」はそれを見る者が自由に自在に切り取ったり破いたり、元の文脈と切り離され、勝手気侭きままに利用される運命にあるのだ。それはシュールレアリズムの方法や感性と同じといっていい(ところがコクトーはアンドレ・ブルトンやポール・エルュアールといったシュールレアリストとは仲が悪かったようだ)。

 その感性は、「秘密の部屋」にある机の引き出しに収められている風変わりシュールなオブジェの宝物にも共通する。英国製の鍵、薬の容器、アルミニウムの指輪などだが、子供の気持ちを解さない者にはガラクタ同然といっていいシロモノだ。部屋一面の「写真」であれオブジェ群であれ、どちらも本来の用途から切り離され象徴的な意味を帯びたものといっていい。

 「秘密の部屋」の第二幕—。「秘密の部屋」にジェラールが日ごと闖入し一緒に寝泊まりするようになると、「秘密の部屋」の未開の力が落ちはじめていく。生活は「秘密の部屋」がもつ未開の力を弱める敵となる。そうなると二人の夢想に最高の地位が与えられた時には、もはや戻ることはできない。その時とは母の死の時。「秘密の部屋」が完成するには劇的な母の死が必要とされたのだ。

 ついにある一枚の「写真」が、二人の”パルテノン神殿”を崩壊させることになる。ある日、エリザベートが仕事仲間でモデルのアガート(ルネ・コジマ)を部屋に連れて来る。アガートは姉弟の宝物の引き出しから偶然一枚の「写真」を見つけ、「これは自分だ」というが、実際にはポールに雪玉をぶつけたダルジェロスが女装した「写真」だった。が、まるで生き写しといってもいいほどのアガートを前にポールは動揺を隠せない。ポールの狼狽を見てとったエリザベートはある重大な事に気づく。二人の部屋一面に貼られた「写真」のどれもが、ダルジェロス=アガートに似ているのだ。映画『オルフェ』(監督コクトー)を製作していた頃ならばコクトー仕掛けの鏡世界がこのあたりで用いられていたかもしれないが、本作品は

 そんな鏡の世界からそのまま抜け出したようなアガートが「秘密の部屋」を訪れるようになれば、これまでのように姉弟二人だけの夢幻世界に遊ぶのは困難になっていくしかない。〈暗黒と感情の亡霊〉が二人を支配するようになる。エリザベートがいつものようにポールのベッドにのって、「一緒に行きましょう」と言っても、ポールは「もう神殿や夢の国に行けない、ひとりで寝させて欲しい」となげやりに言い返すばかりだ。

 

 「秘密の部屋」の崩壊は、エリザベートと裕福なユダヤ人子息ミカエルとの結婚で決定的となる。奇蹟は外部からやってくる。ミカエルは自動車事故であっけなく死ぬ。エリザベートはミカエルの死・—結婚のキャンセル—を無意識に望んでいたことに気づく。もはや運命の車輪を制止することはできない。ミカエルの邸宅(註5)に移り住んだポールは、そこで屏風を廻めぐらしてかつてのような閉じられた「秘密の部屋」をつくる。けれども「行く・・」には年をとってしまったポールが、周囲の壁に「写真」を貼り込むことはない。なによりも「写真」のイマージュを体現しているアガートの存在がある。ポールは神経症的な心理状況のなか、自身の愛の対象を確信したのだ。しかしアガートへの愛の告白の手紙の宛名になんと自分の名前を記してしまう。

 それが悲劇のはじまりだった。手紙は当然アガートに届かずエリザベートに見つかってしまう。エリザベートは毒婦と化してアガートとポールの愛の失効を企もうとする。〈感情の亡霊〉となったエリザベートはポールを追い込んでしまう。ポールは独り毒を呷あおりエリザベートは愛する弟の死を前に拳銃自殺を遂げるのだ。

 「事実からなる歴史はやがて嘘になるが、嘘である神話はやがて真実になる」というコクトーの言葉が思い出される。「写真」で埋められた「秘密の部屋」は、今でも少年たちの真実であり続けている。

(註1) 本作品の製作にあたって、当初コクトー自身が監督にたつことを強く望み、また原作・脚本以外に、美術やナレーションも自ら担っていること、さらに監督メルヴィルが病気の際に監督代行をつとめたこともあわせ、本作品をコクトーの映像世界として取り上げる。コクトーの映画『詩人の血』(1930)と合わせ鏡になっているシーンが何カ所かある。
(註2) 日記『阿片』でそれまでに観た偉大な映画4本をコクトー自身取り上げている。その4本とは『探偵学入門』(キートン)、『黄金狂時代』(チャップリン)、『戦艦ポチョムキン』(エイゼンシュタイン)、『アンダルシアの犬』(ダリ)である。
(註3) シネマトグラフとは、映画の発明者ルミエール兄弟が彼等の映画に対し用いた名称。一八九五年、パリのキャプシーヌ大通りにあるグラン・カフェで今日の映画上映スタイルと同様に、一般の観客から観賞料金をとってスクリーンに投影する映像を公開した。その日が、現在一般に映画誕生の日とされている。対するエジソンが発明したのは、大きな筒の中を上から覗きこんで動画を観るシステムで「キネトスコープ」と呼ばれた。「キネトスコープ」は一度にひとりしか観ることができないものだった。
(註4) 雪の玉を投げたのはポールが密かに思いを寄せるダルジェロスだった。それはダルジェロスでなくてはならなかったのだ。ダルジェロスが学園祭で女装した時の写真はポールの宝物だった。またダルジェロスという名前は実際にコクトーが少年だった頃に魅了されたギリシア神話の彫刻のような面立ちだった少年の名前でもある。ちなみにコクトーは数多くの美女たちと浮き名を流しはしたが、俳優ジャン・マレーと同棲するホモ・セクシャリストだった。
(註5) 撮影にはクリスチャン・ディオールの実際のオフィスが使われている。本映画で用いられている美しい衣裳はディオール。

 

 by Art Bird Books : text by M.Kato     Back to Mapplethorpe & Patti page